江戸時代にもレンタルショップがあった!─貸道具屋・損料屋の仕事─

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皆さん、レンタルショップは利用しますか?
DVD、卒業式・成人式の衣装、レンタカーやレンタサイクルなど、とても便利で生活とも密接な関わりがあります。
そんなレンタルショップですが、皆さんは江戸時代の日本にもレンタルショップが存在していたことをご存知でしょうか?
実は江戸の社会は、現代に負けずとも劣らぬレンタルショップ大活躍の時代だったのです。
そのレンタルショップの名は「損料屋」。

この記事では、江戸時代のレンタルショップ・損料屋について解説していきます。
江戸の暮らしと現代にどんな共通点があったのか、この記事を読んで興味を持ってもらえると嬉しいです。それでは早速見て参りましょう。

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江戸時代にあった「損料屋」とは

「損料」とは、今でいう「レンタル料」のこと。「(返ってきたときの)損耗分の料金」を指します。
つまり損料屋とは、「損耗した分・ダメになった分の料金をもらって、商品を貸し出す」という仕事なのです。現代のレンタルショップは「貸し出す、という行為の対価として料金を払う」という利益のあげ方をしており、この点が大きく異なっていますね。

損料とは、「貸し賃+保証金」

扱う品によって損料は幅があったようですが、貸し賃には現代で言う保証金も含まれており、無事に貸したものが返ってきた場合は、余剰分は返金される仕組みになっていたようです。
扱われる商品は、貸布団や貸衣装、箪笥や机などの家財道具・日用品から、旅行道具など多種多様。これだけ品ぞろえが豊富なら、江戸の人々が損料屋を利用するのも納得ですね。

背景にあったのは「火事」のリスク

損料屋にこれほど需要があったことの背景には、「火事」が大きく関わっています。
俗に「火事と喧嘩は江戸の華」といわれるほど、江戸時代には家事が頻発しました。そんな状況では、日用品を持つのもリスクがあります。せっかく新品を購入しても、火災で焼失してしまっては大損です。
そのため、万が一の時のことを考えて、レンタルで済ませようとする町人に損料屋は重宝されたようです。

他にも、江戸時代は慢性的にモノ・カネが不足していた時代だということも背景にあります。困窮した武士が、食うに困って刀掛けを売り払ってしまい、来客があった時に急いで損料屋から借りた…なんて話も残っている程です。
そんな世の中では、安価に貸し出しをしてくれる損料屋は、非常にありがたい存在だったことでしょう。

「損料屋」が扱っていた主力商品とは

では、損料屋が扱った主力商品には、どんなものがあったのか見ていきます。

もっとも需要があったと言われているのが、「褌(ふんどし)」です。
「褌なんかをレンタルするの?」と思われる方もいるかもしれませんが、当時の褌は貴重品でした。
江戸時代においては、普段から褌をはいていた人というのは実は少なく、ほとんどの人はいわゆる「ノーパン」状態だったと言われています。しかし、祭りで神輿を担ぐときや、人力車の車夫などは、着物の裾を端折る必要がありました。その時に「ノーパン」ではみっともないと、褌をレンタルしたのです。

他にも、「武士が褌を洗うことに屈辱を感じた」という理由もあるようです。江戸の武士は一人暮らしが珍しくありませんでした。その場合、料理洗濯などの家事は自分でする必要がありますが、褌を洗うことはプライドが許しません。しかし損料屋からレンタルすれば、料金さえ払えば使った褌は洗わずそのまま返却し、清潔な新品を借りることができるのですから、武士はこぞって利用したようです。

まとめ

この記事では、江戸時代のレンタルショップ・損料屋について解説しました。
レンタルショップが江戸時代から既に存在していて、現代でも多くの人が利用しているというのは、歴史の面白さを感じさせますね。
歴史を深く知ると、今まで気づかなかった現代社会の利便性や過去との共通点などが発見できて、とても興味深いです。
この記事を読んで少しでも面白い・興味深いと思ったら、ぜひご自分で深掘りしてみてください。
また新しい発見があるかもしれませんよ。最後までご覧いただき、ありがとうございました。