建設業が「子供に人気がない」のは、建築が「創る楽しみ」を失ってしまったから

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 前回の記事で、江戸の3大職人は「大工・鳶(とび)・左官」だったという話を書きました。江戸から明治を経て、「大正ロマン」という名称で「独自の戸建て住宅の美」を追求した大正時代がありました。
 昭和の初期までは「センスの良い大工」が住宅の際立った佇まいと機能美を先導していたと思います。

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「センスの良い大工」の独創性が失われた?

 それが、戦後1950年に建築基準法なるものが施工され、建築士という資格が登場してから大工の魅力が薄れました。「住宅の大量供給・サラリーマンの55歳定年・35年の住宅ローン」の3点セットが提唱されたことで、「美しい住宅」よりも「ダサくて平凡な住宅」が量産されたと言えます。
 戦後の人口増加に合わせて供給された家は、サラリーマンのライフスタイルには溶け込みましたが、お世辞にも「誇れる家」ではなかったと思います。
 平成に入ってから「古民家」をリフォームして活用する事例が増えましたが、この場合の古民家は「壊すにはもったいない品の良い住宅」を指しており、昭和に量産された家ではありません。
 これはセンスの良い「大工」もしくは「建築家」の仕事であったと思います。
 「大正ロマン」邸宅と呼ばれるものが、ある一定以上の品格を備えた住宅という証です。

「文化的なものの創出」を奪ったら、キツイ・汚いだけが残った

 もしそういった仕事に携われるとしたら、それは「誇り」であり「文化的なものの創出」ですから、子どもにとっても尊敬の対象となりえます。戦後の戸建て住宅の建設業が、ものづくり文化としての「訴求ができず」に、「キツイ・汚い」現場作業と受け取られたことが残念でなりません。

これは何とかして残したい、と思わせる「風格のある住まい」の復権

 戸建て住宅でも、築30年~40年たったときに「これは古くなったから取り壊そう」ではなく、「これはなんとか残したい」と思われるような「風格のある住まい」を作りたいものです。それこそが、住宅としてのモノづくりの復権です。「大正ロマン」邸宅には、明らかにそれがありました。「失ったもの」を取り戻す。施主なり大工・建築家に「こういう家を作ろう!」という矜持があるからこそ、建物に風格が宿るのではないかと思います。